白人は二重まぶたが何か知らない

あるときアメリカ人(白人)の男友達M君に
「あなたの目は二重だから羨ましい。」
と言ったら
「二重ってなに?」
と言われたので
発音が悪かったのかと思い、もう一度
double eyelids
と言いましたが
それでも伝わらず
「目を開けたときにあなたの目の上にはここにラインが出来るでしょ?」
と説明しました。
答えは
「I don’t know.(わからない)」
そこで会話が終了してしまいました。

そのとき私は
アメリカ人はもしや二重まぶたを知らないのでは?
と思い

今度は頭が良く物知りなKちゃん(白人アメリカ女子)に
「double edged eyelidsって何か知ってる?もし知らなかったら逆になんのことだと思う?」
と聞いてみると
「知らないし、なんのことだか想像がつかない。」
という答えが。

それもそのはず。
私は4年アメリカに住んでいましたが、
二重じゃない白人または黒人を見たことがありませんでした。
さらにこのM君とKちゃんはアメリカのど田舎出身で
アジア人をほとんど見たことがありません。

後にアジア系アメリカ人のKちゃんに
二重まぶたのことを尋ねると、
さすがアジア人。知っていました。
彼女自身は一重まぶたで、
コンプレックスに思ってはいなくとも違いには気づいていたようです。

人間は不思議なもので
自分がコンプレックスに感じているものを
他人が優勢だと思い、うらやましがり、
そこばかり見ています。

逆に自分がすでに持っているものの素晴らしさに気がつかないのです。

私の目は一重まぶたですが
あまり小さくはないです。

よく目の話をすると
一重の友達は当然私が一重なのを知っていて、
二重の友達は
「あれ?一重まぶたなの?気づかなかった。」
と言います。

これだけでも十分
自分がコンプレックスではないものを
相手に求めていない、見ていない
というのがわかりますよね。

さらに言えば、
私は人の歯並びに注目したことがありません。
八重歯の人がかわいいなあくらいに思ったことはありますが。

小学生くらいから
周りに「歯並びがいい」
と褒められるまでは
自分の歯並びの良さに一生気づかなかったでしょう。

日本にいると
日本人のファッションのカテゴリー化、多様性に驚かされます。

一方アメリカにいると、

アーティスト関係者
または外国人だけがオシャレで、

ほとんどのアメリカ人はジーンズにTシャツで一番楽な格好をしています。
みんなだいたい同じ格好です。

しかしそれには
こだわらなくて良い訳があるからです。

元々外国人の方がスタイルが良いとか顔が良いとかそういう話ではありません。

みんな最初から髪の色、目の色、肌の色が違うので
個性を出す必要が無いのです。

アメリカは多様性の国。

髪の色は金から黒、
チリチリクルクルなくせ毛からストレートな髪質、
がたいが良い人華奢な人、背が高い人低い人、様々。

そこでファッションにこだわったところで
みんな違うし
そこで差をつける必要がないのです。

日本の中だとみんな
黄色人種、黒髪、ダークブラウンの目
と同じで
見た目に他人と違う自分を見いだすために
変わろうとします。

日本のファッションの独自性は
同じ人種しかいない日本だからこそ生み出せた
すばらしい産物だと思います。

しかし私はこんなにもオシャレの平均レベルが高い日本のファッションに
一つだけ不可解なことがあります。

それは「外国人風」です。

メイクも服も髪型も
なにかと白人風にしたがったり
髪型をわざとちりちりにして黒人風にしたり。

私も以前はダンスをしていたので
黒人さんのように見えたらと思い
髪の毛をスパイラルパーマにしていました。

しかしひとたび
アメリカでの暮らしを始めると
私は私でそのまま個性的なのです。

一重まぶたで
背が低くて
白人や黒人は欲しくても手に入らない
黒くてしっかりしたストレートの髪。

日本人は日本人のままで十分個性的なのです。

多様性の良さとは
新しいものへの知見の広がりばかりではなく
自分が持っているすばらしいものの再発見になること。

しかし、私は違うものへの憧れを否定しているのではありません。

私はアメリカが好きだし
彼らの文化が好きだし
多くのことを学び、それに近づきたいと思いました。
なんならアメリカ人になりたいくらいに思っていました。

それくらい好きだからこそ
相手は私に心を開いてくれたんだと思います。

他にも
アフリカンミュージックが好きな人がいたり
アイリッシュダンスが好きな人がいたり

違う文化を吸収したり
違う人種に近づくという行為自体は
自身の成長や
相手への理解になるから

真似る行為というのは悪いことではありません。

さらに
ハーフタレント
なんて芸能人が昨今では注目されますが

半分は日本人の血だから見た目に親近感があり
しかも海外から異なる遺伝子を持っている人間を
本能的にかわいい、かっこいいと感じるのは
なんとなく生物学的に筋が通っている気がします。

でも
むやみやたらに
メディアが作り上げた
白人優勢の”外国人風”という言葉に
自分の良さを見失うのは
全く意味が違うと思います。

海外旅行に行くと改めて日本の良さを感じる人がいるかと思いますが
見た目に関しても同じことが言えると思います。

自分の良さを知って引き出す方が
案外素敵になれる近道なのかもしれません。

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